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 言語と思考4 一人ブレインストーミング

ブレインストーミングという会議方式がある。参加者がそれぞれの地位役職を忘れ、テーマに関してとにかく思いついたことをひたすら自由に口にする。結論を出すためではなく、しがらみのない発想の量産を目的とした方式だ。一見無駄に思える小さく雑多で奇抜なアイディアは、テーマの本質を見直すきっかけを作り、抜本的に課題を浮き彫りにし、権力のヒエラルキーを超越した新しい解決法に辿り着く可能性すら秘めているのである。

この方式が私はとても好きだ。複数で同時進行的に行う連想ゲームだと捉えている。単純に楽しいのだ。参加者の属性が多様であればあるほど面白い。そして同僚とはバックグラウンドが圧倒的に異なる私は、常にスウェーデン人にとって意外性のある考えを披露できるものだ。

このブレインストーミングと全く同じことを、自分の脳内で行っていることに気がついた。何か外部からの刺激を受けた際、即ち何か新しい情報が脳にインプットされた際、それが私の脳内の既存の記憶、知識、感情、思考に連鎖し、別の新たなアイディアを生み出す。問題なのは、それが無意識に行われることだ。会議と違い、一人ブレインストーミングは場所や時間を選ばない。いつどこで始まるか分からない。今日これから一人ブレストしよう、と思って開始するものではない。道端でみつけた小さな花や、急に思い出した5歳の頃の日本での記憶が、会社のとある議題に連鎖されることがある。新しい情報を得る機会になるかもしれないと思って意識的に新聞を読むことはできても、果たして新聞の中のどの情報が刺激となるかを事前に知りコントロールすることはできない。それ故、連想ゲームがふとした瞬間に始まり、無尽蔵に続いてしまうことがある。新しい発想が湯水のように湧き出て溢れてしまう。私はそれらをどうにかして留めておきたいと思う。だかそれができない。

なぜなら、脳内のこの連想ゲームは、言語の形をとっていないからだ。一人ブレインストーミングは情報処理の形式を問わない。私という一人の人間の脳内だけで処理されるからだ。それぞれの事象はそれぞれの形式を取ったままで言語化されていないのだ。それぞれの事象がどの形式を取っていようと、また入力される事象がどんな新しい形式を取っていようと、自由に連鎖される。道端で見つけた小さな花を綺麗だなぁと思った感情は、その感情の形式のまま脳に記録されている。5歳の頃、いたずらをしてしまって怒られるかもしれないとびくびくしながら帰った帰り道のいつもと違う田んぼの匂いは、その特別な感情が入り混じった匂いのまま記録されている。そういったあらゆる複雑な事象・記録が、感情としてあるいは記憶として蘇り、そのままの形式を保ったまま今日得た新しい情報に連鎖する。

しかし、ブレインストーミングを成功させる為の大切なステップの一つに、生産された大量の小さなアイディア・情報を整理するという段階がある。こうして高速処理され生み出されたそれぞれの形式の新しい発想を、私が自分自身でどうにかして整理しなければならない。いくら新たな発想が生まれたとしても、それを集約し整理しなければ意味がない。なぜなら、最終的にそれらをアウトプットしたいからだ。それらを他人と交感したいからだ。会議で行われるブレインストーミングは、誰かが発言した時点でそのアイディアは既に言語化されている。言語化されている情報を整理することはさほど困難ではない。一方、一人ブレインストーミングでは、意識的に脳内の発想を言語化しなければいけない。意識的に言語化しなければ、整理することも他人へ伝えることもできない。しかもどの言語を使うか、あるいは言語でなく他の表現方法(たとえば音楽)を使うか、すなわちどの形式で出力するのがベストかをまずは選択しなければならない。多くの人は、この選択を無意識に行っているだろう。脳内の事象を他人と交感する際、共通の言語をはじめ、何かしら交感する相手と共通した方法を無意識に選択している。ではもし複数の共通した方法が存在する場合、どの方法を使うかを人はどう選択しているのだろう。

脳内の思考を具現化する方法は言語だけではない。それは星の数ほど存在する。普段使用している言語を人は無意識に選択しがちだが、音楽家は音楽で、料理人は料理で、スポーツ選手は試合の中で、頭の中のイメージをアウトプットしている。果たして今私の頭の中で吹き荒れるとめどない一人ブレインストーミングの結晶を、大量の様々な、かつそれぞれの形式の発想を、どの方法で出力していいのか私は常に困惑している。変換・出力が追いつかない。その形式に最も適切な手段を瞬時に選び、瞬時に具現化する訓練を、どのように行えばいいのか。スウェーデン語に変換するには、きっと脳内をスウェーデン語で書き表す訓練をするべきだろう。音楽に変換するには、きっと脳内を音で歌い表す訓練をするべきだろう。あらゆる形式の思考を、可能な限りあらゆる方法で出力しようと試みる私はおかしいだろうか?複数の選択肢を前に戸惑うのは、私だけだろうか?
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