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 言語と思考3 究極の孤独とは?

ここしばらく、自分の脳内思考を他人と共有できていないというストレスに見舞われた為、その原因を自分なりに探ってきた。最近の考察は、日本語とその他の言語の性質の違いが前提にあるという仮説の下で展開された。しかしここへ来て、私は同じストレスを日本でも抱いていたことを思い出す。原因はスウェーデンと日本の文化摩擦ではない。ではなぜなのか。

女性だから?東京生まれだから?B型だから?左利きだから?JG生だから?

アイデンティティの確立
ハーフの子の強さ
音楽で交感する便利さ・早さ・確実さ
音楽では交感できない分野・ジャンル
頭の中のもやもやをどうにかして誰かと共有したい。交感したい。
その多くを言語という方法で担っている。他言語を使う今、それが叶わなくてフラストレーションが溜まる。
スウェーデン*解決法は理解できて教えてもらえても、そのプロセスや道筋が共有できない。気にしない。
日本*プロセスや道筋を師匠と何十年にもわたって共有し教わるが、ゴールは一生見せてもらえない。

その両方を私と交感してくれる人のなんと少ないことか。音楽の世界にはたくさんいる。でも脳内のすべてを音楽で表すこともできない。修行が足りない。だからと言って言葉でも表せない。修行が足りない。

究極の孤独とは?
脳内のもやもやを交感するために説明するのを怠ること。表現するのを諦めること。それが不可能だと知ってしまうこと。
言葉では表現できないと分かってしまったとき。それを諦める。
音では表現できないと分かってしまったとき。それを諦める。
その人に知ってもらいたいのに。それができない。


相手に同じ言語がないと交換はできないのだろうか。
求める水準の交感は不可能でないと前向きに考えることはできる。自分の修行しだいで近づくことはできる。けれど辿り着くことは不可能だ。だから面白いの?だから生きてるの?畏れるの?音楽と自然は命なの?
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