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 When in Rome do as the Romans do

先日初めてこちらの緊急時番号(110番)に通報した。
幾度と無く繰り返されてきた、近くに暮らすある夫婦の凄まじい喧嘩を見過ごせなかった。
以前も近所の別の誰かが通報し、夫婦は警察の聴取を受けていた。
今回は私以外誰も行動に出なかったようだが、数時間に及んだ深夜の罵声と物音の終盤に聞こえてきた、つたないスウェーデン語で「助けて」を叫ぶ奥さんの声をどうしても無視できなかった。

通報するまで、10分近く悩んだ。

彼らには3歳に満たない一人息子がいる。
万が一夫婦の関係が子供に危害を及ぼしかねないと判断された場合、この幼い子は問答無用で即時両親から引き離され保護される。
以後福祉施設の管理の下、社会の管理の下、二度と両親と以前の様には暮らせなくなる。
前回の記録も新しいこの夫婦が、私の一本の電話によってそうした状況に陥る可能性は大いにあった。
私の一本の電話が、ある家族を崩壊の危機に直面させることは明らかだった。
私にそんな権利があるのか。何があっても家族は共に暮らすべきではないのか。

悩んだ。

夫婦は移民だった。二人とも外国で生まれ、成人してからスウェーデンに移住してきた私と同じ移民だった。
彼らの祖国がどのような文化を保持しているか、私は良く知らない。
大声で叫ぶ夫婦喧嘩が当たり前の国かもしれない。
普段は人当たりの良い二人だが、それほど頻繁に、人前で堂々と口論していたし、
気持ちをぶちまけることでお互いを理解しあう人々でないと、どうして最近知り合ったばかりの私が断言できるだろうか。

しかしここはスウェーデンだ。
私と同じように、彼らもスウェーデン社会の制度と構造を学んでいるはずであり、
女性の助けが叫ばれた時点で、誰かが通報する可能性がある事実は間違いなく認識していただろう。
同時に、その行動が彼らの愛息を取り上げられる引き金に成り得ることも重々承知していただろう。
それでも彼らは止めなかった。

私は郷に従った。



私の通報により急行した警察が喧嘩の仲裁に当たる。
後日、二人は再度聴取を受けたものの、注意を受ける程度のよくある夫婦喧嘩として処理されたと知った。
男の子ももちろんいつも通り、両親とともに笑顔で暮らしている。

愕然とした。
私はあくまでスウェーデン社会に受け入れてもらった一人の人間の義務として、スウェーデン社会のルールに則った上で、通報したと思っていた。
だが実際は、もし、奥さんが殴られていたら、子供が怪我をしていたら、私が通報しなかったことで防げた筈の犯罪を防止できなかったら、助けられた筈の人を助けられなかったら、
耐えられないと思って通報した。
自分の為に通報していた。

なぜ私は彼ら夫婦と友達でなかったんだろう。
友達であったなら、彼らの文化を少しは理解していたら、
通報する前に直接ドアをノックして様子を見に行けた筈だった。
友達でなかったが故に、良く知らない文化を持つ二人の行動が恐怖になったのだ。
スウェーデン云々以前に、私は様々な異なる文化の人々と同じ社会で生活するのがどういうことかを、分かっていなかった。


もし彼らがスウェーデン人夫婦であったなら私は迷わず通報していた。
スウェーデン社会を学び、スウェーデン人の思考と行動を知っているからだ。
愛することは知ることだ。
未知を知る努力を怠ってはいけない。
気が遠くなるほど膨大な選択肢に囲まれたこの幸福な現代で、私はいつだって自分に恥じること無い判断と選択をしていきたい。

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