リーダーシップ

リーダーシップの定義とは何か。ポジティブな考えを浸透させることが得意だったり、プレゼンテーションの上手な人は、一見良いリーダーシップを持って周囲を引っ張っているように見える。だが実は言葉ばかりで実際には行動していなかったり、昨日言っていることと今日言っていることが理由もなく違っていたりする。良いリーダーシップを取るために必要不可欠なことは、有言実行、共通理念・ビジョンの周知、他人を敬うことを忘れないことだ。その弊害として、自分の発言に対する重責を理解し、ビジョンに共感できない因子への対応を怠らず、必ず誰かには好かれていないという事実を受け入れなければならない。

仕事上の会議には二種類ある。情報を周知する会議、そして何かを決定する会議だ。情報を周知する会議は全員が参加しなければならない。どんな小さな変更であっても、理由と決断の経緯、実行の日時を明確かつ簡潔に伝達しなければならない。新しい情報がいつどのタイミングで誰に影響を及ぼすかを予め知ることは難しい。従って思いつく限り関わりのある人全員に、敬意を持って周知することが必須だ。その為の会議には、必ず全員が呼ばれなければならない。一方、何かを決定する会議は、責任者のみで行われるべきだ。決定を下す過程で誰かの援助やさらなる議論が必要な際の付随的な会議に至っては、議題を明確にし、そして議題に関連する人のみが招かれなければならない。議論の名の下に、決定を下す会議自体に責任者以外が何度も呼ばれることは不効率極まりない。

情報処理の二つの種類を混同しているリーダーが多い。情報を集め決断を下すことと、決定した情報を周囲へ拡散することの違いを理解し、この二つを敬意を持って有言実行することがリーダーの仕事だ。
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 他所者のベクトル

外国人であること。
外国人であるということは、それがどんなに近い国家、民族、文化であったとしても、その国へ他所から来た者であるという意味だ。同一国内でさえ、どんなに小さなコミュニティーでさえ、一家族の中でさえ、新参者や他所者を排他する風潮は、人間の性として世界中どこでも普遍的に見られることだ。
他所から新しいコミュニティーへ加わる際、それが自らの意志で望んだ故であれ、自然的、人為的、あるいは運命的な抗えない理由からであれ、加わる者がそこへ同調しようと努力する必要がある。そして他所者に遭遇した者は、外部からもたらされる未知で異質な人間の違いを知り理解する必要がある。どちらが欠けても受け入れは成立しない。受け入れが成立しなければ世界平和は達成されない。
加わろうとする者のベクトルは、受け入れに遭遇する者のそれより大きくなくてはならない。そこに初めから暮らしていた者へ敬意を表す必要があると考える。加わろうとする者が受け容れに遭遇する者より多数であったとしてもそれは変わらない。数ではない。時間を重んじる。加わろうとする行為が例え何かに強いられた行為であったとしても、後から来た者の努力が受け入れ成立に最も欠かせない大切な要素である。
移民政策に悩む各国は、加わろうとする者の努力が足りないことを案じている。どんなに受け容れる側が努力しても、加わろうとする者がそれ以上に努力しなければならない。
さらには、海外での社会生活を円滑に進めるために、外国人であることを隠そうとする友人さえ大勢いる。名前を隠し、言語を隠し、姿を隠そうとする。文化風習を隠そうとする。書類の上では現地人に装えるかもしれない。しかし、あなたがあなたであることを隠すことはできない。私が私のルーツを持っていることを隠すことはできない。その人間の起源を取り消すことはできない。
無駄な軋轢を回避する為に己を偽る行為に疑問を感じる。ありのままでありすぎてはいけない。同調しようと努力し、受け容れに遭遇した方々への敬意を忘れてはいけない。でもそれは嘘をつくことではない。愛することは知ることだ。知ってもらうには、偽らない私を見せなければならない。他所者の努力のベクトルは、受け容れてくださる方々より大きくなくてはならない。そしてその矢印は、真実の矢印でなくてはならない。

 言語と思考4 一人ブレインストーミング

ブレインストーミングという会議方式がある。参加者がそれぞれの地位役職を忘れ、テーマに関してとにかく思いついたことをひたすら自由に口にする。結論を出すためではなく、しがらみのない発想の量産を目的とした方式だ。一見無駄に思える小さく雑多で奇抜なアイディアは、テーマの本質を見直すきっかけを作り、抜本的に課題を浮き彫りにし、権力のヒエラルキーを超越した新しい解決法に辿り着く可能性すら秘めているのである。

この方式が私はとても好きだ。複数で同時進行的に行う連想ゲームだと捉えている。単純に楽しいのだ。参加者の属性が多様であればあるほど面白い。そして同僚とはバックグラウンドが圧倒的に異なる私は、常にスウェーデン人にとって意外性のある考えを披露できるものだ。

このブレインストーミングと全く同じことを、自分の脳内で行っていることに気がついた。何か外部からの刺激を受けた際、即ち何か新しい情報が脳にインプットされた際、それが私の脳内の既存の記憶、知識、感情、思考に連鎖し、別の新たなアイディアを生み出す。問題なのは、それが無意識に行われることだ。会議と違い、一人ブレインストーミングは場所や時間を選ばない。いつどこで始まるか分からない。今日これから一人ブレストしよう、と思って開始するものではない。道端でみつけた小さな花や、急に思い出した5歳の頃の日本での記憶が、会社のとある議題に連鎖されることがある。新しい情報を得る機会になるかもしれないと思って意識的に新聞を読むことはできても、果たして新聞の中のどの情報が刺激となるかを事前に知りコントロールすることはできない。それ故、連想ゲームがふとした瞬間に始まり、無尽蔵に続いてしまうことがある。新しい発想が湯水のように湧き出て溢れてしまう。私はそれらをどうにかして留めておきたいと思う。だかそれができない。

なぜなら、脳内のこの連想ゲームは、言語の形をとっていないからだ。一人ブレインストーミングは情報処理の形式を問わない。私という一人の人間の脳内だけで処理されるからだ。それぞれの事象はそれぞれの形式を取ったままで言語化されていないのだ。それぞれの事象がどの形式を取っていようと、また入力される事象がどんな新しい形式を取っていようと、自由に連鎖される。道端で見つけた小さな花を綺麗だなぁと思った感情は、その感情の形式のまま脳に記録されている。5歳の頃、いたずらをしてしまって怒られるかもしれないとびくびくしながら帰った帰り道のいつもと違う田んぼの匂いは、その特別な感情が入り混じった匂いのまま記録されている。そういったあらゆる複雑な事象・記録が、感情としてあるいは記憶として蘇り、そのままの形式を保ったまま今日得た新しい情報に連鎖する。

しかし、ブレインストーミングを成功させる為の大切なステップの一つに、生産された大量の小さなアイディア・情報を整理するという段階がある。こうして高速処理され生み出されたそれぞれの形式の新しい発想を、私が自分自身でどうにかして整理しなければならない。いくら新たな発想が生まれたとしても、それを集約し整理しなければ意味がない。なぜなら、最終的にそれらをアウトプットしたいからだ。それらを他人と交感したいからだ。会議で行われるブレインストーミングは、誰かが発言した時点でそのアイディアは既に言語化されている。言語化されている情報を整理することはさほど困難ではない。一方、一人ブレインストーミングでは、意識的に脳内の発想を言語化しなければいけない。意識的に言語化しなければ、整理することも他人へ伝えることもできない。しかもどの言語を使うか、あるいは言語でなく他の表現方法(たとえば音楽)を使うか、すなわちどの形式で出力するのがベストかをまずは選択しなければならない。多くの人は、この選択を無意識に行っているだろう。脳内の事象を他人と交感する際、共通の言語をはじめ、何かしら交感する相手と共通した方法を無意識に選択している。ではもし複数の共通した方法が存在する場合、どの方法を使うかを人はどう選択しているのだろう。

脳内の思考を具現化する方法は言語だけではない。それは星の数ほど存在する。普段使用している言語を人は無意識に選択しがちだが、音楽家は音楽で、料理人は料理で、スポーツ選手は試合の中で、頭の中のイメージをアウトプットしている。果たして今私の頭の中で吹き荒れるとめどない一人ブレインストーミングの結晶を、大量の様々な、かつそれぞれの形式の発想を、どの方法で出力していいのか私は常に困惑している。変換・出力が追いつかない。その形式に最も適切な手段を瞬時に選び、瞬時に具現化する訓練を、どのように行えばいいのか。スウェーデン語に変換するには、きっと脳内をスウェーデン語で書き表す訓練をするべきだろう。音楽に変換するには、きっと脳内を音で歌い表す訓練をするべきだろう。あらゆる形式の思考を、可能な限りあらゆる方法で出力しようと試みる私はおかしいだろうか?複数の選択肢を前に戸惑うのは、私だけだろうか?

 自分構成要素

B型的行動力:国際結婚レベル
日本人的論理力:JGレベル
ジャズ的芸術力:セミプロレベル


自分と感覚のぴたり会う人をかれこれ31年探し続けているけど、未だ出会わない。
ずっと自分の中の二面性が原因ではないかと考えてきた。日本とスウェーデン、右脳と左脳など。
今、自分を構成する要素は3つあるのではと思い始めた。
3分野がそれぞれなかなかハイレベルだと自負していて、この分布を理解してくれる人が今後私の人生に現れるのかは限りなく疑わしい。
人は皆違うから面白い。でも私は一生孤独なんだと気づいて相当恐い。再び問う。究極の孤独とは?

 分類

お金と愛は同類。
増えたり減ったり、時に制御を外れる。

友と知性は同類。
時間と空間を超え、普遍である。

音楽と自然は同類。
等しく恵み、等しく厳しい。だから絶対で、畏まる。
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